事業概要

 本研究拠点は,独自のクロマチン蛍光染色技術を用いて,自然のままの状態で核内のクロマチン繊維の動態を3次元ライブイメージとして観測する技術を確立する. 観測されたクロマチン繊維の核内動態を再現する数理モデルを構築し,核内でのクロマチン動態と遺伝子発現制御の相関を明らかにする.

 細胞の性質は遺伝子の発現パターンにより規定される. 一方で,遺伝子の発現量・パターンは同じ細胞系譜であっても細胞ごとに大きくばらつく「揺らぎ」が存在する. 化学的には厳密に書き込まれている遺伝情報が読み出しの段階で「揺らぐ」ために,細胞は多様な性質を持つ. この「揺らぎ」が,細胞の分化,がん化やiPS細胞化の効率を規定している. 細胞内の遺伝子発現の「揺らぎ」はクロマチン繊維が示す核内動態の「揺らぎ」を反映する. 本拠点では,核内のクロマチン動態の精密な観測と数理科学的解析から,クロマチン動態により制御される遺伝子発現機構を明らかにする. 遺伝子の化学分析に基づくゲノム科学から,「揺らぎ」の概念を含む物理的描像のゲノム科学を先導する. これが本拠点で推進する「生命動態システム科学」である.

 クロマチン動態を取り入れた遺伝子発現制御の新たな描像は,がん化など細胞の性質変化に伴う疾病の発症機構の解明にも応用でき,広く創薬等の応用展開を支える.

 広島大学・理学研究科・数理分子生命理学専攻が設立(平成114月)以来10年以上にわたり培ってきた異分野融合領域の教育・研究経験を生かして, 生命動態システム科学を先導する人材を育成する拠点を形成する. 広島大学テニュア-トラックシステム等を利用して,有能な人材を拠点研究者として研究を持続する機会を積極的に与える.

研究概要

クロマチン動態に基づいた新しい生命科学研究の実現

 真核細胞のDNAはクロマチン構造をとり核内の特定の場所に整然と格納されている(クロモソームテリトリー). しかし,遺伝子発現調節時には,核内のクロマチン高次構造は大きく変化し,クロマチンはクロモソームテリトリーから逸脱する動きを示す. クロマチン構造の時間的,空間的制御は,遺伝子発現調節と密接に関係する.本拠点では,核内のクロマチン高次構造動態を高解像3次元ライブイメージとして観測する技術を確立する. その観測結果にもとづいて,核内でのクロマチン動態を表現する数理モデルを構築し,遺伝子発現情報との相関関係を解析することにより,クロマチン動態と遺伝子発現との関係を明らかにする. このような実験的手法と理論的手法を融合させることにより,クロマチン動態変化と細胞機能との関係をつなぐ新しい生命科学研究を実現する.
 核内でのクロマチン動態は遺伝子発現パターンを決定することで,細胞の性質を規定する役割を果たすと考えられている. しかし,計測技術・解析技術が不十分であるため,その役割は十分に理解されていない. 同じ細胞系譜中の同じ遺伝子であっても,細胞ごとに発現量に大きなばらつき(「揺らぎ」)がある. また,細胞のがん化や老化,iPS細胞化など細胞の状態変化にも,細胞ごとに大きく異なる「揺らぎ」が存在する. 化学的な遺伝情報(ゲノム配列,エピゲノム状態)だけでは説明し得ない大きな細胞間での状態の違いがなぜ生じるか, 細胞は個々に状態の「揺らぎ」を持ちながらも細胞集団(組織)はなぜ適切な応答をして生命・個体を維持し得るのか, これら細胞生物学上の問題を解明するには,クロマチン動態という「揺らぎ」を含む物理現象の数理科学的理解が必要である. ここに,本拠点で計画するクロマチン動態の数理科学の必要性が強調できる.

クロマチン動態と細胞機能の関係:なぜクロマチン動態の数理研究か?

 離れた遺伝子座を同時に制御する場合,クロマチン構造がテリトリーから大きく突出して核内の遺伝子発現場に入ることが知られている. また,細胞の分化は核内クロマチン高次構造動態と関係するとされる. 分化に伴うクロマチン高次構造動態の抑制は,遺伝子発現パターンの揺らぎを抑止し,このため細胞は特定の性質を維持し安定に存在できる. iPS細胞作成時の‘リプログラミング’は,細胞内の遺伝子発現パターンを変化させて細胞の性質を変える技術である. その成功率の低さは,クロマチン高次構造動態の制約による遺伝子発現パターンの低い揺らぎと関係すると考えることができる. 逆に細胞の癌化は,クロマチン動態の乱れを反映した遺伝子発現の揺らぎの増大による細胞の幼若化と見ることもできる.
 従来の遺伝子発現制御の研究は,主としてDNA配列あるはDNA修飾・ヒストン修飾などのエピゲノム解析をもとに進められている. いずれも,遺伝子の化学的性質から遺伝子発現制御機構の解明を目指すものである. 遺伝子の化学的性質は,揺らぎの小さな,したがって正確な遺伝情報の伝達を可能とする. 従来の化学的な遺伝子研究は,遺伝子として書き込まれた「生命の設計図」が正確に読み出されることを前提としている. しかし,実際には同じ設計図を持つ細胞であっても,細胞ごとに遺伝子の発現パターンに大きなばらつき(「揺らぎ」)を示す. 細胞は,その遺伝子発現の揺らぎの大きさを利用して多様な外部環境に対して柔軟に適応しているようにも見える. 遺伝情報の化学的厳密さから,細胞が必要とする柔軟性に富んだ機能の多様性を生み出すところに,クロマチン動態という揺らぎを持つ物理現象が関わっていると考えられる. 核内クロマチン動態の精密な観測と,その観測にもとづくクロマチン動態を数理科学的に解析することは,多様な外部環境に対して適切に応答する細胞の「揺らぎ」を利用した遺伝情報発現制御機構を明らかにする. これは,化学的な遺伝情報の安定性からは説明できない,細胞の多様な機能獲得過程を解明する研究につながる.